こんにちは。
今回ブログを担当させていただくのは、今年の4月から滋賀支店営業課に入社しました岡本です。
6月に入り、日に日に汗ばんでいるのを感じ、「衣替え」という単語が脳裏にちらちらと顔を出す季節になってきましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今回、ブログのお話をいただいて、テーマはどうしようかと考えたのですが、
新入社員の私のことを知っていただく意味も込めて、個人的な趣味の話をさせていただこうと思います。
私の趣味、それはずばり、「短歌」です。
プロの歌人の短歌はもちろん、SNS等にあげられている一般の趣味でされている方の短歌を拝見してみたり、自分で作歌したりすることもしばしばあります。
5・7・5・7・7という文字制限の中で成立している世界が非常に魅力的で、
この拘束された文字数の中で一つの世界が成立しているという「様式美」、
31音という少ない情報量だからこそ読み手によって様々な解釈が生まれるという「無限の可能性」、
これらが短歌の魅力であり素晴らしさであると私は感じています。
今回は、私の好きな短歌、現代風に言うならば「推し短歌」をご紹介させていただきたいと思います。
ご紹介させていただくのは
【I am a 大丈夫 ゆえ you are a 大丈夫 too 地上絵あげる/橋爪志保】
です。
私がこの短歌が好きな理由は、美しい純粋さです。
「私は大丈夫。だから君も大丈夫」と励まされていると思ったら急に出てくる地上絵。
一目見たときには訳の分からないように感じますが、読み解いてみるとかわいらしい情景が目に浮かんできました。
まず、「I am“ a ”大丈夫」、「You are “a” 大丈夫」という間違った文法。
形容動詞の大丈夫に a という冠詞がついています。一方で、
この間違った文法/適当さから「よくわかんないけど!!」という主体(=励ましている人)の無鉄砲な様子がうかがえます。
また、「ゆえ」という接続詞も日ごろ使われない接続詞です。
日常会話では「だから」のほうが自然なはずです。
なのに、日常会話では使われない「ゆえ」というワードチョイスにも、
とりあえず自身に格をつけたい=頭がいいと思われたいという付け焼刃な発想が感じ取れます。
文法がぐちゃぐちゃの励ましを受けたと思ったら、突如、地上絵を渡されました。
“地上絵”と言われて、多くの人が思いつくのはナスカの地上絵だと思います。
あんな未知な巨大なものを急に「あげる‼」とプレゼントされたわけです。
あなたが貰い手だったらどうでしょう。
「地上絵あげるってどうやって?」「え、地上絵を持っているの?」「そもそも地上絵をあげるって何?」といった風に様々なはてなで頭を埋め尽くされることでしょう。
しかし、おそらく主体はそんなことを気にしていません。
そこにあるのは理屈ではなく、落ち込んでいる相手を見て、神秘的で荘厳なものをプレゼントして、少しでも元気になってほしいという真っすぐな気持ちだと私は感じました。
こんな何でもありのぶっ飛んだ励ましを受けると、ぽかーんとしてしまって悩んでいたことも思わず忘れてしまいそうな気がします。
この励ましには筋どころか、一切の根拠がありません。
しかし、それらがないからこそ、ただ目の前の相手を励ましたい、元気をだしてほしいと相手を思う濁りのない純粋さがそこにありました。
いかがだったでしょうか。
本当はまだまだお伝えしたい短歌が山ほどあるのですが、1mmでもこのブログによって短歌の良さが伝われば何よりです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。